ヨメルト事典
光源氏の絵(イメージ)

源氏物語の人物

光源氏ひかるげんじ

光源氏(ひかるげんじ)は、『源氏物語』に出てくる物語の主人公。帝の二番目の皇子。三歳で母の更衣を、六歳で祖母を亡くし、宮中で育った。だれよりも美しく賢いので「光の君」と呼ばれる。帝の考えで親王にはならず、源の姓をもらう臣下とされた。十二歳で元服し、左大臣の娘と結婚した。

物語の中での呼び名:第二の皇子・若宮・源氏の君・光の君

第1帖「桐壺」までの内容です。帖が進むと書き足します。

母が亡くなったあと、幼い光源氏はどこにいた?

母の喪もに服している皇子が、死の穢けがれを嫌きらう宮中にいた例はないので、更衣の実家(祖母の家)へ移った。皇子は、何が起きたのか分からず、周りの人や帝みかどが泣いているのをふしぎそうに見ていた。

光源氏は、いつから宮中で暮らしている?

母の死から何か月かのちに宮中に入った。皇子が六歳さいのとき、祖母(更衣こういの母)も亡くなり、それからはずっと宮中で暮らすようになった。七歳で書初めの式をして学問を始め、帝みかどはその賢かしこさにおどろいた。帝は、昼に弘徽殿こきでんへ行くときも皇子を連れて行った。

「光の君」「輝く日の宮」とは、だれのこと?なぜそう呼ばれた?

源氏があまりに美しいので、世の人はそれを言い表そうとして「光の君」と呼んだ。帝みかどから、ほかにならぶ者のないほど愛されている藤壺ふじつぼの宮は、それと対になるように「輝く日の宮」と呼ばれた。「光の君」という名は、鴻臚館こうろかんへ来た高麗こま人が源氏をほめてつけた名だとも、そのころ言われた。

光源氏は、なぜ「源氏」になった?

帝みかどは、高麗こまの人相見の言葉より前から、皇子の将来を考えていた。後ろだてのない、位の低い親王として心細い身にしておきたくない、自分の代もいつ終わるか分からないと考え、臣下にして国の柱として働かせるのがいちばんよいと決めた。親王にすれば、帝の位をねらう疑いを受けるとも思った。占い師も同じことを言うので、元服したら源の姓せいを与あたえることにした。

幼い光源氏は、藤壺の宮をどう思っていた?

母の更衣こういの面影おもかげはおぼえていないが、典侍ないしのすけが「よく似ている」と言ったので、子ども心に、母に似た人として宮を恋こいしく思い、親しくなりたいと願った。帝みかども、二人は本当の母と子のように見えると言って、宮に源氏をかわいがるよう頼たのんだ。源氏は、花や紅葉の美しい枝を、まず宮にさしあげたいというそぶりを見せた。

光源氏は、だれと結婚した?

加冠かかんの役をつとめた左大臣の娘むすめ(姫ひめ君)。左大臣は、東宮から妃きさきに望まれていたのに、はじめから源氏の妻にしようと考えて返事をしぶっていた。帝みかども賛成し、元服の宴うたげで歌を詠よんで結婚をすすめた。源氏はその夜、左大臣の家へ婿むことして入った。姫君は源氏より少し年上で、年下の少年の妻になったことをはずかしく思っている。

左大臣家と右大臣家は、どんな関係?

左大臣は大きな力を持ち、妻は帝みかどのきょうだいの内親王。そこへ帝のかわいがる源氏が婿むこに入ったので、東宮の祖父で、いずれ関白になると思われている右大臣の勢いは、くらべものにならないほどおされていた(語り手の説明)。二人の大臣は仲がよくないが、右大臣は、左大臣の息子の蔵人少将を、大事にしている四番目の娘むすめの婿にした。

結婚したあと、光源氏はどうしていた?

帝みかどがそばから離はなさないので、五、六日は御所ごしょ、二、三日だけ妻の家、というとぎれがちな通い方だった。源氏は、藤壺ふじつぼの宮のような人を妻にしたいと思い、宮のことばかりが恋こいしくて苦しいほどだった(語り手の説明)。元服してからは宮の御簾みすの中に入れてもらえず、宮の楽器の音やかすかな声を聞くのをなぐさめにして、宮中に泊とまる番ばかりを好んだ。

桐壺と二条の院は、どうなった?

帝みかどは、母の更衣こういが住んでいた桐壺を、源氏が宮中に泊とまるときの部屋として与あたえ、更衣に仕えていた女房にょうぼうたちを、そのまま源氏に仕えさせた。更衣の実家は、帝が命じて立派に建てなおさせ、池も広くした。これが二条の院。源氏は、ここで理想どおりの妻と暮らせたらとため息をついていた。

光源氏の家族とつながり

桐壺帝桐壺の更衣東宮光源氏左大臣の姫君
二重線は夫婦(帝と妃も)。絵はイメージです。
  • 桐壺帝父(帝)帝は源氏の君をいとおしみ、後ろだてのない身を案じて、東宮にせず源の姓を与えて臣下にした。
  • 桐壺の更衣母更衣は源氏の君が三歳の夏に亡くなり、源氏の君は母の面影をおぼえていない。
  • 左大臣の姫君妻(少し年上)源氏の君の通いは、御所に五、六日、姫君の家に二、三日ととぎれがち。心は藤壺の宮のような人に向いていた(語り手の説明)。
  • 東宮父が同じ兄東宮と源氏の君は、どちらも帝の子の兄弟。兄は東宮になり、弟は臣下になって源の姓を受けた。
  • 桐壺の更衣の母母方の祖母更衣の母は源氏の君の祖母。宮中へ返すのをためらったが、源氏の君が六歳のとき、別れがつらいとだけ言い残して亡くなった。
  • 藤壺の宮父の妃きさき(女御にょご)藤壺の宮は源氏の君の父・帝の女御。元服後は会えなくなったが、源氏の君は宮を恋しく思い続けている(語り手の説明)。
  • 弘徽殿の女御父の妃きさき(女御)弘徽殿の女御は、源氏の君が藤壺の宮に好意を寄せるので昔の恨みがよみがえり、源氏の君を憎むようになった。
  • 右大弁世話役のような人
  • 高麗の相人人相を見た人人相見は源氏の君に帝王の相を見たが、帝になるのも臣下として帝を助けるのも違うようだと言い、別れに詩を交わして贈り物をした。
  • 左大臣妻の父左大臣は婿の源氏の君をかわいがり、通いがとぎれがちでも、少年だからととがめず世話をした。

光源氏はどんな人柄?

学問も音楽もすぐれ、語り手が、話しても信じてもらえないほどの天才だと書くほど。母の面影おもかげはおぼえていないが、母に似ていると聞いた藤壺ふじつぼの宮を子ども心に慕したい、元服後は、宮のような人を妻にしたいと思いつめている(語り手の説明)。

光源氏のおもなできごと

  • 母の死が分からなかった母の更衣こういが亡くなったとき、何が起きたのか分からなかった。喪ものあいだは更衣の実家で過ごした。
  • 祖母を亡くした六歳さいのとき、祖母(更衣の母)が亡くなった。このときは祖母の死が分かって悲しんだ。そのあとはずっと宮中で暮らすようになった。
  • 高麗こまの人相見に見てもらった帝の考えで、右大弁の子ということにして鴻臚館こうろかんへ行き、高麗の人相見に人相を見てもらった。別れを惜おしむ詩も作り、人相見にほめられた。
  • 藤壺ふじつぼの宮を慕したった母によく似ていると典侍ないしのすけが言ったので、藤壺の宮を母に似た人として恋こいしく思い、花や紅葉の美しい枝をまず宮にさしあげるようになった。
  • 十二歳で元服し、左大臣の婿むこになった十二歳で元服した。加冠かかんの役は左大臣、髪かみを切る役は大蔵卿おおくらきょう。その夜、左大臣の家へ婿として入り、左大臣の姫ひめ君と夫婦になった。
  • 妻の家にあまり行かなかった帝がそばから離はなさないこともあり、五、六日は御所ごしょ、二、三日だけ左大臣の家、という通い方だった。藤壺の宮のような人を妻にしたいと思い、宮の楽器の音や声をかすかに聞ける、宮中に泊まる番ばかりを好んだ。
  • 桐壺きりつぼと二条の院をもらった帝みかどから、母の更衣こういがいた桐壺きりつぼを、宮中に泊まるときの部屋としてもらった。更衣の実家は建てなおされ、二条の院となった。

登場する帖

  • 第1帖「桐壺」

関わる言葉

皇子おうじ
天皇の息子。
更衣こうい
天皇の妃の位の一つ。女御より下で、大納言など、女御ほど高くない家の娘がなる。
宮中きゅうちゅう
天皇の住まいである御所の中。
光の君ひかるのきみ
光るように美しい君、という意味の呼び名。
親王しんのう
天皇の息子や兄弟などで、正式に皇族とされた男性。
臣下しんか
天皇に仕える家来。皇族ではない人。
元服げんぷく
男子が大人になったしるしの儀式。子どもの髪型をやめて髪を結い、冠をかぶる。
藤壺ふじつぼ
御所の中の御殿の一つ「飛香舎(ひぎょうしゃ)」の呼び名。庭に藤が植えてあったことから。
右大弁うだいべん
朝廷の役所(太政官(だじょうかん))の役人の位の一つ。
鴻臚館こうろかん
外国からの使いを泊め、もてなすための館。
高麗こま
朝鮮半島などにあった国の呼び名。
人相見にんそうみ
顔つきや姿から、その人の性格や運命を占う人。

源氏物語のほかの人物