
源氏物語の人物
桐壺の更衣の母きりつぼのこういのはは
桐壺の更衣の母(きりつぼのこういのはは)は、『源氏物語』に出てくる光源氏の祖母。桐壺の更衣の母で、第二の皇子(源氏)の祖母。夫の大納言の遺言を守って娘を宮仕えに出したが、娘に先立たれた。皇子が六歳のとき、更衣のいる世界へ行きたいと願って亡くなった。
物語の中での呼び名:更衣の母・母君・未亡人
第1帖「桐壺」までの内容です。帖が進むと書き足します。
桐壺の更衣の母は、なぜ娘を宮仕えに出した?
母君の話では、夫の大納言が、死の間ぎわまで「娘を宮中へ差し上げよ」と何度も遺言したから。しっかりした後ろだてのない宮仕えは、かえって娘を不幸にするのではとも思ったが、遺言を守りたい一心だった。母君は、ねたみの重荷が娘の命を縮めたのではないかと考えてしまい、帝の深すぎる愛情さえ、かえって恨めしく思える、と命婦に話した。
桐壺帝は、更衣の母のことをどう言っていた?
帝は、遺言を苦労して守った母君に、更衣を後宮の一段高い位につけることで報いたかったと言った。また、若宮が帝にでもなる日が来れば、亡き人に后の位を贈ることもできるので、母君はそれまで生きていたいと思っているだろう、とも言った(帝のことば)。
靫負の命婦と更衣の母は、どんな気持ちで歌を交わした?
命婦の気持ち
更衣の死を悲しみ、母君の嘆きに触れて、涙が止まりません。帝のもとへ帰らなければなりませんが、母君との別れもつらく感じています。
母君の気持ち
命婦が訪ねてくれたのはありがたいことでした。しかし、娘の思い出を語り合ったことで、悲しみはいっそう深まってしまいました。
「恨めしい」というのは、命婦を本当に責めているのではありません。訪問を喜ぶ気持ちと、悲しみが増してしまったつらさが入り混じった言葉なのです。
桐壺の更衣の母の家族とつながり
桐壺の更衣の母はどんな人柄?
家がらがよく、ものの分かった人(語り手の説明)。娘の死後は悲しみに沈み、長生きを恥じ、不幸な自分が若宮のそばにいるのは縁起が悪いと言って、御所へ上がることをためらった。
桐壺の更衣の母のおもなできごと
- 火葬の場へついて行った娘の亡きがらといっしょに煙になりたいと泣き、むりに頼んで葬送の車に乗り、愛宕の式場へ行った。娘がまだ生きているように思えてしまう、その迷いを覚ますために行くのだと、しっかりしたことを言っていたが、車から落ちそうなほど泣いた。
- 命婦に思いを語った帝の使いの命婦に、夫の大納言が、娘を宮中へ差し上げるようにと何度も遺言したので、後ろだてがないのを心配しながらも宮仕えに出したこと、ねたみの重荷が娘の命を縮めたのではないかと考えてしまうこと、帝の深すぎる愛情がかえって恨めしく思えることを話した。御所へ上がることはできないとも答えた。
- 形見の品を贈った命婦が帰るとき、亡き娘の形見として、唐衣と裳のひとそろいと、髪上げの道具の箱を贈った。
- 若宮の宮中入りをためらった女房たちは若宮を早く御所へ帰すようにすすめたが、不幸な自分がいっしょに上がれば世間に悪く言われるし、若宮と別れて暮らすのもつらいと思い、宮中入りはなかなか実現しなかった。
- 亡くなった第一皇子が東宮に決まったころから気落ちし、更衣のいる世界へ行くことのほかに望みはないと言って仏の迎えを願い、若宮と別れるのが悲しいと言いながら亡くなった。皇子が六歳の年だった。
登場する帖
- 第1帖「桐壺」
関わる言葉
- 桐壺きりつぼ
- 御所の中の御殿の一つ「淑景舎(しげいしゃ)」の呼び名。庭に桐が植えてあったことから。天皇の住む清涼殿から遠い、東北のすみにある。
- 更衣こうい
- 天皇の妃の位の一つ。女御より下で、大納言など、女御ほど高くない家の娘がなる。
- 皇子おうじ
- 天皇の息子。
- 源氏げんじ
- 「源」の姓を与えられて臣下になった、皇族の出の人。
- 大納言だいなごん
- 朝廷の高い位の役人。大臣の次の位。
- 宮仕えみやづかえ
- 宮中に仕えること。
- 若宮わかみや
- 幼い皇子。
- 縁起えんぎ
- よいこと・悪いことが起こる前ぶれ。
- 御所ごしょ
- 天皇の住まい。
- 葬送そうそう
- 死んだ人を、墓や火葬の場まで送ること。
- 愛宕おたぎ
- 京都の東山のふもとの地名。火葬の場があった。
- 命婦みょうぶ
- 宮中に仕える女官の位の一つ。





